captaintaroの日記

ウィッチャーのファンです。原作、ゲーム、wikiの内容について自分なりにまとめてみようかと思います。ご指摘等あればよろしくお願いします。

ケィア・モルヘンについて

ケィア・モルヘン(「古き海の要塞」を意味する古代語「カエル・アムイレヘン」が崩れたものとされている。)は、狼流派のウィッチャー達の本拠地であり、ハークランド(ハークランドの人々は世界で最も優れた騎手と言われており、北方諸国にも複数回侵攻している。)と北方諸国を隔てる青色山脈北部(ケイドウェン北東部、グウェンレフの川岸)の、部外者が容易には到達し難い険しい山岳地帯に存在する。山の絶壁に寄り添うように佇むこの今にも崩壊しそうな巨大な廃墟は、今や僅かなウィッチャー達の故郷であり、越冬のために立ち寄る休息所でもあった。オクセンフルトアカデミーのとある学者は、現在ケィア・モルヘンが建っている場所には、元々古代エルフの防御施設があったと推察しており、エレメントサークルはその時代に建設された可能性がある。

11世紀後半に城が建設された頃、既に近くの洞窟(狼の頭)には狼流派のウィッチャー達が存在しており、城が何らかの理由で放棄された時、彼らはそこを本拠地にした。

1170年代、ケィア・モルヘンは圧倒的多数の暴徒に襲撃された。猫流派が引き起こした「イエロの虐殺」によるウィッチャーへの畏怖と憎悪、ウィッチャーを中傷する出版物「異形なる者もしくはウィッチャーの肖像」、ウィッチャーを不敬な魔術により生み出された存在とする狂信者達、ウィッチャーという存在を生み出す魔術師の抹殺。動機は様々考えられるが、煽動者達の真の目的は今日に至るまで不明である。当時、城には多くのウィッチャー(ヴェセミルによると23人のウィッチャーと40人のウィッチャー見習い)がいたが、暴徒を支援する魔術師により門が破られ、ウィッチャーへの憎悪と軽蔑を叫びながら雪崩れ込んできた敵の数は余りにも多かった。熟練のウィッチャー、ウィッチャー見習いの少年、変異のための試練を行う魔術師等、城を離れていた者達等を除く狼流派の大半が殺された。城の周辺には、今でも虐殺と抵抗の名残りである数百もの白骨が横たわっている。

大陸には他の流派の本拠地が複数存在した(現在ではそのほとんどが壊滅していると言われている。)が、ケィア・モルヘンの実験室では異端魔術師の監督のもとで様々な薬草と器具により最も優れた変異のための試練とウィッチャーとしての訓練が行われていた。しかし、先述の虐殺により大半が殺された魔術師の最後の1人がケィア・モルヘンを去った時、変異に関する秘術は永遠に失われることとなった。ケィア・モルヘンの城壁よりも古いと言われているヴェセミルは古い時代のウィッチャーの最後の生き残りだが、剣術の指導者に過ぎず、変異のための試練を行うことはできなかった。1230年代後半から1240年代前半にかけて、ケィア・モルヘンで最後に「変異」と十分な訓練を受けたのはランバートだった。

1264年頃、シリはゲラルトに連れられ、ケィア・モルヘンを訪れた。そして、ゲラルトだけでなく、ヴェセミル、エスケルランバート、グリフィン流派のコーエンによりウィッチャーとしての戦い方を学び、魔術師のトリス・メリゴールドからは様々な知識(古代語を含めた一般教養全般に、礼儀作法、化粧の仕方、そして女性特有の生理現象について)を学んだ。しかし、シリが持つ強大な力等についての問題を解決するため、1266 年の春、ゲラルト、トリス、シリはエランダーの寺院に向けて出発し、そこでシリはヴェンガーバーグのイェネファーと出会い、厳しい指導を受けることになった。

1270年、トリスとウィッチャー達は、2年前にリヴィアで発生した暴動により死亡したと思われていたゲラルトをケィア・モルヘンへ迎えることとなった。コーエンは大戦で戦死していたが、ゲラルトは代わりに新たなウィッチャー見習いのレオと出会った。しかし、ケィア・モルヘンは「サラマンドラ」なる集団の襲撃を受け、レオは殺され、変異誘発剤は盗まれてしまった。ゲラルトはサラマンドラの目的を探るべく旅立った。

1272年、ケィア・モルヘンにおいて、シリの力を狙うワイルドハントと、シリを守るウィッチャー、魔術師、そしてゲラルトの友人達が死闘を繰り広げた。シリの力の暴走によりワイルドハントを撃退することには成功したものの、長年狼流派を支えてきたヴェセミルが戦死し、管理者のいなくなったケィア・モルヘンは遂に死を迎えることとなった。